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藤本タツキ先生の「ルックバック」について、統合失調症の当事者が感じたこと

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遺伝子は運命ではない

 藤本タツキ先生の「ルックバック」は、喪失と再生の物語だ。漫画という技法を最大限に活かした構造が素晴らしい。私個人も藤本タツキ先生と同じく美術大学を卒業したので、親近感もあってか氏の漫画が好きだ。特に「ファイアパンチ」などは、手塚治氏以来の「火の鳥」のようなすごい作品だと思う。

 仮定の話ではあるが、この「ルックバック」は、京アニへの放火犯とその事件を題材にしているのかもしれない。私が「ルックバック」において気になったのは、“名もなき放火犯“、あるいは斧を持った男への描写だ。彼はひどい被害妄想に囚われており、事件を起こす。特徴的なのは、視点人物の友人がいる部屋に、斧を持った男が侵入する場面だ。

 彼は遭遇した視点人物の友人に、意味不明なことを捲し立てる。

 ここで私は「ああ、彼は“統合失調症”と揶揄された青葉容疑者へのオマージュなんだな」と考えた。

 もちろん青葉容疑者を擁護する気は全くないし、むしろ厳しい罰を受け入れるべきだとも思っている。問題は、芸術の力によって「統合失調症」に罹患する人のイメージを、怪物のように仕立て上げてしまったということだ。

 精神疾患及び「統合失調症」を、安易に反社会的な存在だと結びつけるのは、実に危険であると思う。私はこの事実に、T4作戦のような悍ましさを感じるのだ。

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統合失調症

 現在、私は破瓜型(この名称はほぼ形骸化しているといってもいい)統合失調症の当事者であり、フルタイムのクローズで就労している。パートナーに恵まれて結婚もしており、家事も生活もそれなりにしている。

 まず初めに、この記事を開いた方々にお伝えしたいのは、私の運がとてもよかったという事実である。何故なら、薬を毎日飲むという行為により、パートナーと結ばれ、普通の生活を送れているからだ。

 ここで不可思議に思う人もいるのかもしれない。日本は、精神疾患と精神医学に対して懐疑的であり、知性と知識を軽視する風潮がある。そこで生まれてしまう考えが「薬は悪であり、人体に悪影響を及ぼす」というものである。

 もちろんこれは一理ある。

 向精神薬にも副作用はあるし、適切な量を処方されていなければ、かえって具合も悪くなる。私もかつてジプレキサを処方されたとき、身体が怠くなり起きるのも億劫になったものだ。

 しかし、今は適切な治療と投薬を受けて、普通の生活を送れている。これに関して、理解をしてくれた家族と主治医にはとても感謝している。統合失調症に罹患し、普通の認識を持てなかった私が、ここまで復帰できた理由は、前述した適切な治療と投薬にある。

神経犯罪学と精神医学 

 

 話は変わるが、神経犯罪学において有名なエイドリアン・レインの著書『暴力の解剖学』は、反社会的行動や暴力に結びつく因子について解説している。特に、脳の分泌物であるセロトニン(気分を安定させる効果があり、脳内では抑制機能がある)は、衝動的で行き当たりばったりの行動に対する生物学的なブレーキの一つとみなされている。体質によりセロトニンレベルが低ければ、ストレスを引き起こす不公平な社会的状況に置かれると、気が動転しやすい。

 「ドーパミン」「セロトニン」「ノルアドレナリン」は精神疾患治療の主幹であり、向精神薬でこれらの分泌を調整している。

 投薬を継続する私が被害妄想や幻聴に囚われないのも、これらの薬がいい方向に作用しているからである。

あなたの運命は遺伝子により定められるものではない

 暴力や犯罪に特効薬はなく、反社会的行為は、遺伝子だけによるものではない。衝動的反社会的行為は、環境からくる社会的危険因子と、遺伝子からくる生物学的危険因子が複雑に絡み合う。そこへ更に、不公平な社会状況と脳の置かれた環境も影響する、となっては、安易に原因を特定することは困難となる。

 そこで『暴力の解剖学』第4章のモーリシャス美女と野獣の研究結果だ。これは“呪われた遺伝子“というスティグマへの突破口となりうる話であるから、ぜひこの本を書店で手に取ってほしい。

 要約すると、精神病質とほとんど同じ性質を持った脳を持つ男女の経年研究で、主に栄養・認知刺激・運動という構成要素からなる介入プログラムを受けた片方は、犯罪を犯すことのないまま成長して成人となり、そのプログラムを受けないもう片方は常習犯罪者になったという話だ。

 この研究から学べるのは、生物学は運命ではないということだ。うろ覚えではあるが、リチャード・ドーキンス氏の『利己的な遺伝子』でも似た文面を目にしたと思う。同じ生物学的特徴があったとしても、まったく異なる結果になる場合もある。犯罪を抑制する一番の鍵は、「良心」なのだ。

芸術の力は恐怖でもある

 もし自分の属する集団が「犯罪者予備軍」としてみられ、恐怖の対象となっていたら、どう思うだろうか?

 京アニ放火事件が起きた当時、ネット上には統合失調症へのヘイトスピーチで溢れていた。なかには統合失調症を罹患する者の断種を推奨する書き込みも多数あり、T4作戦が行われたナチスの時代と何ら変わりないという事実を、私は突きつけられてしまった。

 藤本タツキ先生の「ルックバック」はとても素晴らしい作品であったけれども、大衆が抱える統合失調症への嫌悪感を投げつけられたようで、少し寂しかった。こういうことを書くあたり、私は“苦痛を耐え続ける美しい障害者“にはなれないと思う。

 でも、それでいいか、とも思う。