蟹の話

クレバーに抱きしめろ

何故、咲坂伊緒『ストロボ・エッジ』の主人公を嫌いになったか

  • 最初に
  • どのような漫画か
  • 登場人物
  • 序盤
  • 中盤
  • 終盤まで
  • 何故主人公を嫌いか
  • 総括

最初に

何故この記事を書いたかというと、子供の頃に読んだ漫画で漠然と主人公への嫌悪感が今でも残っていたからです。嫌いという感情を解体していくと何が残るのだろう?と疑問に思い、執筆に至りました。長い稚拙な文章ですが、どうにか記事にしてみたので、よろしければご覧ください。

どのような漫画か

少女漫画「ストロボ・エッジ」は構成、心理描写ともに優れている作品です。1話1話の緩急も上手く、序盤から終盤に至るまで、登場人物に感情移入をしてしまいます。この作家さんは漫画がとても上手いです。ベタ褒めですが、作り込まれています。ポリティカル・コレクトネスやジェンダーの観点では、10年以上前の作品なので古いと感じる点があります。読む場合はご注意ください。

登場人物

  • 主人公(仁菜子)

素直な性格。主体性に欠けており、周りに流されるままになることも。恋愛に関しては情緒が中学生で止まっている(個人的な印象)。一ノ瀬蓮を恋愛対象と自覚してからは一途に想い続ける。

  • 一ノ瀬蓮

複雑な背景をもつ麻由香の心情を察することのできる優しい男性、とは思う。たぶん。

  • ライバル(麻由香)

のちの項目で記述する。

  • 安堂くん

煮え切らない仁菜子に恋したあまり報われないエピソードの連続なので幸せになってほしい。

  • 幼馴染(大樹)

最序盤で仁菜子を好きだった幼馴染。両親が離婚し片親である。主人公が主体性を獲得したことにより振られるが、転んでも爆速で起き上がる。麻由香は実の姉である。

  • さゆり

仁菜子に振られた大樹と恋人になる。二人の話が、後に一ノ瀬蓮と麻由香の別離に繋がるサブプロットとなる。

  • 寺田裕太郎

読切「きのうを願う人」にて主人公となる。さゆりの元彼。常にさゆりに主導権を持たれることにモヤつき、別の子の告白を保留し、はっきりしない態度をとったためにフラれる。さゆりを未だに好きである。本編では蓮の本心を言い当てようとする三好学を諌める。雰囲気が蜀の軍師。

  • 三好学

どんな恋でも応援するマン。読切で先輩との恋を描かれる。

  • 真央

激重の業の深い過去をもつ仁菜子のイフの姿。

序盤(ビギニング)

ビギニング

•主人公の描写でスタート。誰の物語かを読者に伝える。

•主人公の「平凡な世界」を提示。主人公が自ら選んだ暮らし、快適あるいは無頓着でいられる日常を描く。

•主人公の「特徴が表れる瞬間」を提示。作品全体で描いていく性格や行動の特徴が表れるシーンを書く。

•動きで始める。主人公が行動しながら初登場するように書く。ぼんやり座ったり、景色を眺めたりしている姿はつまらない。

•読者が主人公を気にかける、または共感できるよう設定する。主人公は勇敢か? 賢さ、タフさ、親切さ、面白さはあるか? この人物を追ってみたいと読者に思わせる姿を提示する。

•主人公に欲望とゴールを持たせる。人生に何を求めているか? 何をすべきだと思っているか?

•主人公の現状を激変させるインサイティング

・イベントを作る。家族が殺されるとか、大事なテストでカンニングがばれるとか。二十年後の未来にタイムトラベルしてしまうとか。

•主人公をインサイティング・イベントに反応させる。無反応なら意味がない。主人公のリアクションがストーリーのトーンを決める。

—『アウトラインから書く小説再入門』K.M.ワイランド著

1巻の記念すべき第1話は主人公の仁菜子が、八百屋の言われるがままに「すっごくおいしい」リンゴを買ってしまうことから始まります。彼女は先に述べたように、主体性に欠け、恋愛に関しては中学生の目線で止まっています。例えば幼馴染である大樹への気持ちなどは、周囲の友人が相思相愛と言えばそのまま受け取ってしまう。このことから、それまでの仁菜子に主体性が欠けていることが分かるのですが、学校のアイドルである一ノ瀬蓮に対しては「もし笑ったらどんなかな…」と興味を持っています。

物語は一ノ瀬蓮に携帯のストラップを破壊されたことで進む(これは幼馴染の大樹がプレゼントしたものであり、これを含めて入念にサブキャラクターとのフラグが折られていく)。

そして1話のクライマックスでは笑わないと思っていた一ノ瀬蓮の笑顔が大ゴマで描かれます。そのとき仁菜子は胸が苦しくなり、冒頭の言われるがままに買った「すっごくおいしい」リンゴは毒リンゴなのか、酸っぱかったな、と回想します。

言われるがままの結果として決めた選択を、一ノ瀬蓮との出会いを契機に疑問に思うのです。

これは主人公の現状を激変させるイベント、「インサイティング・イベント」でしょう。

つまり仁菜子は一ノ瀬蓮にストラップを壊されたことをきっかけに、それまでになかった主人公としての主体性を獲得していくのです。仁菜子は好きでないのですが、これはアツい展開だと思うし、ビギニングの流れがピッタリと当てはまってすごいと思う。

以降、個人的に感じたこと。

2巻のラストの読切「another light」では仁菜子ではなく、ライバルの麻由香が視点人物となっています。私としては麻由香のエピソードが更に深掘りされたらと思いました。それほどに、麻由香は複雑な人物であるのです。

麻由香について。

両親が別居した家で育ったために「愛なんていつか終わる」という諦観を持つ。読切の序盤にて離婚が決まり、蓮に私や大樹の存在では愛を繋ぎ止められなかったと吐露する。その姿を見た蓮は約束として「変わらないこと」を誓う。そして誓ってくれた蓮のためにも何かをできる人間になろうとモデルの仕事を始めて…が読切でのストーリーとなっています。

仁菜子と違う点は素直ではないところです。素直ではないというか、自分の気持ちを言わずに抱え込んでしまうのですね。おそらくは複雑な家庭環境で親の気持ちを伺う機会が多かったためではないでしょうか。逆に言えば素直であれば麻由香は仁菜子の立ち位置にいた筈です。描写次第では主人公を食っていたと思う。ま〜〜とにかく幸せになってくれ筆頭キャラ。おそらくモデルとしても成功するだろうし、私個人の気持ちとして一番幸せになってほしいですね。

中盤(ミドル)

ミドル

•主人公をパニックの渦に陥れる。ドミノ倒しを仕掛ける。

•主人公がゴールに到達できないように仕組む。ゴールが見えているのに手が届かない状況を作る。

•主人公に新たなゴールを与える。奮闘しながら前進するうち、初めのゴールはバックストーリーの一部になっていく。

•主人公が敵対者に対し、パワー全開で反撃するような決断をさせる。もう泣き寝入りしない。計画を立てて反撃する。」

—『アウトラインから書く小説再入門』K.M.ワイランド著

5巻最終話にて大きなイベントが発生します。それは一ノ瀬蓮と麻由香の別離です。それまでも破局のフラグが丁寧に組み立てられてきたのですが、結果は一ノ瀬蓮の気持ちを察した麻由香が自ら退くというものでした。

変わらない約束をした蓮と変わった麻由香。

この辺りはピタゴラスイッチを見ているようで上手いなあと。誰一人として悪人に描かれていないので読んでいてストレスがありません。…それにしても麻由香がいい女すぎる。マジ天使(泣)

この怒涛のイベントにより、主人公と一ノ瀬蓮との間に溝が生まれます。麻由香を支えるというウソの気持ちを見透かされ別れを告げられた蓮の自責の念と二人の別離の原因となった仁菜子の罪悪感が、互いにアプローチを避けるという形で表れます。

そして仁菜子は二年生となり、安堂や一ノ瀬蓮、周囲の友人たちと同じクラスに。「今はまだ私の気持ちは秘密にしておきたいんだ」と決意。

そして安堂の元カノ真央が学校に現れ、さゆりは元彼の寺田裕太郎に話しかける。

仁菜子がアプローチをしないのは、自責の念を抱える蓮への遠慮と自身の罪悪感に阻まれてのことですが、まさにミドルの「ゴールが見えているのに到達できない状態」でしょう。ここまでくればあとは気持ち次第なので早いですね。

以降、個人的に感じたこと。

安堂くん…(泣)

そんなエピソードが多く、読者の大半は彼のことが大好きになったと思う。私も大好きです。彼のことを語ると記事が長くなりすぎるので、また別の機会でも。

中盤で特に印象深い場面ですが、5巻のある話でさゆりが「ただ奪う側だけが いつも悪いのかなーって思って言ってみただけ!」と言うところ。

側から見ても社会的に見ても、かなりやべえ台詞なんですが、さゆりは仁菜子側の人物なのでポジティブなものとして受け入れられます。いや何をどう考えても奪う側が悪いだろ、というツッコミはさておき。この台詞からネガティブなイメージを払拭する技巧がとにかくすごいと思う。プロの漫画家ってすごい。

この台詞の他にも、一ノ瀬蓮と麻由香が別れたという話を聞いて、仁菜子の周囲の仲間が一ノ瀬蓮へのアプローチを勧め、一ノ瀬蓮側も友人の三好学が仁菜子との恋を勧めようとするエピソードがあります。

…とは書いたものの、このエピソードで仁菜子がアプローチすることはありませんでした。それは傷心(であるはず)の一ノ瀬蓮を気遣ってのこと。その割には安堂くんを蛇の生殺し状態にしていると思うのですが、それはサブキャラクターの宿命なので仕方がないのかもしれません。

終盤

エンディング

・主人公が自分について新たな気づきを得る(特に、致命的な欠点)。敵対者に勝つにはどうすべきか理解する。物理的に勝利するには内面の葛藤の克服が必要、というストーリーが最もパワフル。

・主人公を(身体面、精神面、倫理面で)極限まで追い詰める。たやすく勝てるバトルはだめ。主人公が勝てるかどうか、読者を常にはらはらさせる。

・最後の最後で主人公を復活させる。どん底まで落ちてから再起。

(中略)

・主人公をゴールに到達させる。主人公が勝つストーリーなら、強敵をついに負かして難関に到達。家族の死を乗り越えて平和を勝ち取るとか、カンニングを後悔して再受験し、目標の得点を取るとか。あるいはタイムトラベルの仕組みを学んで現在の生活を向上させるとか。

—『アウトラインから書く小説再入門』K.M.ワイランド著

修学旅行編では寺田との会話で麻由香との別れを後悔していないと告げた蓮。徐々に氷が溶けていく感じは仁菜子のおかげなのでしょう。依然として両片思いなのは見ていて面白いですね。

そろそろサブキャラクターでも掘り下げが多いので疲れてきました。

終盤に入ると真央というキャラクターがクローズアップされます。なかなかこの子がクセのある過去を持つキャラで「蓮に近づくために安堂と付き合って蓮にキス未遂をしたがその結果親友の蓮と安堂が仲違いしたので後悔している」という業の深い過去を持っています。仁菜子さえどう反応すればいいか困ってるよ…この子は蓮と安堂の仲を守るために仁菜子に蓮を好きにならないよう告げます。いや知らんがな…勝手にせえや。もうアルターエゴ仁菜子とでも解釈した方がいいのかもしれない。

そしてあろうことか仁菜子は、真央の言う通り、蓮と安堂の友情を守ることを決断します。1話の主体性のない状態に戻っている…

この章の最初に引用したエンディングの主人公を追い詰める敵対者とは、恋のライバルでも安堂でもなく、仁菜子自身だったのです。自分自身の主体性のなさ、弱気や罪悪感と闘うラストというのは、なかなかいいですね。でもシナリオのポイントであるどん底が全くどん底ではないのが気になりました。蓮や安堂、友達と少し気まずい(と仁菜子だけが思っている)雰囲気になるのですが、すぐにでも解決しそうなので…。

9巻。話が進んでも仁菜子はどっちつかずの中途半端な対応をしています。相手のことを想うあまり、相手のためにならない偽善をしているというか、こう…ファム・ファタール感あるね…。読んでいてちょっとダレてきています。

10巻。安堂くんよく言った!と思うほどに安堂くんに感動した…結局は仁菜子の問題はどの人間にもいい顔をしたい、悪者になりたくないという欲求にあるので1話の主体性のなさがここに繋がるのです。ピタゴラスイッチ〜〜

おそらく安堂くんは真央と付き合うのでしょう。安堂がんばれ…。

最後はぐじゃぐじゃになりながら、なりふり構わずの仁菜子の告白。自分の汚い部分を理解してなりふり構わなくなる人は割と好きです。結末が気になった方は読んでみてね!

何故主人公を嫌いか

読み直した結果、子供の頃読んだ印象と若干変わったかもしれない。

これは仁菜子を嫌いか、というより…「主人公であるが故に持たされた特権性」に主人公が敏感かどうかであると思います。

主人公であるが故に持たされた特権性」、とは。咄嗟に概念を作ってしまったが、説明していく。

まずは物語上の特権性、主人公という役割は物語の構成に欠かせず、序盤(ビギニング)〜中盤(ミドル)〜終盤(エンディング)においても、この役割は優遇されている。

例えばこの「ストロボ・エッジ」劇中の仁菜子の友人たちもいい人物ばかりで、何らかの悪意をぶつけてこない。だからこそ読んでいてストレスを感じにくい。読者の大半が主人公に感情移入するからこそ、不快な要素は事前にカットされる。なにより物語中盤のさゆりの台詞である「ただ奪う側だけが いつも悪いのかなーって思って言ってみただけ!」が主人公の背中を押すポジティブな台詞になったことこそ、その特権性を浮き彫りにしています(のちにこの台詞は中盤〜終盤の仁菜子のモノローグで「奪われたのも仕方なかった、と思うことで自分を無理に納得させたのかもしれないな」と語られている。さゆりの過去を知ったこともあってか、終盤で仁菜子が罪悪感を抱く遠因となったのではないかと思う)。

2巻の視点人物が麻由香に移る読切でも、この点が気遣われているように思います。ただ、麻由香は複雑な背景をもつサブキャラクターであるため、描写が過ぎると主人公を食べてしまいます。彼女に視点が移り変わる話が非常に少ない所もそれが理由でしょう。私は麻由香の方が好きですがね!!

またメタ的な意味でも特権性があります。それはモノローグによる心理描写や情景描写により、読者の感情移入を誘発するものです。それは群像劇ではない大半の漫画に言えることであり、主人公が魅力的であるほどに、そのエピソードの説得力が増していきます。

漫画の登場人物にメタ的な特権性の自覚を期待するのは無理な話ですが、物語上の主人公の特権性、つまり恵まれた環境であることに仁菜子が敏感であったか、と聞かれると私はそうではないと考えます。それは終盤の団長の指摘でようやく気づくほど鈍いのです。

恵まれた環境、というのは主人公の味方が強固かつ、その選択がどれだけフォローされるかで分かります。先にも述べましたが、この漫画のすごいところは、読む場合に発生し得るストレスを事前にカットしているところでしょう。読んでいるこちらを苛立たせたり、主人公を攻撃したりするネームドキャラがほぼいないのです。それどころか、彼らのほとんどは仁菜子をフォローするため舞台に存在しています。いい人しか出てこねえ!

中盤以降の一ノ瀬蓮が麻由香に振られたエピソード、ひどく言えばこの物語は主人公が主体性を獲得した末に略奪愛を成功させる話なのですが、仁菜子の周囲にはそれを止める人が存在しません。もちろん一ノ瀬蓮と麻由香が別れたのちも、周囲は蓮・仁菜子へのアプローチを勧めます。

中盤〜終盤にかけては別れた2人に罪悪感を抱いた場面もありますが、依然として主人公を取り巻く環境は恵まれており、他者の不幸な境遇に涙することはあっても、自身の恵まれたそれを理解する機会はほとんどありません。終盤の保健室での団長との会話でようやく察するのです。鈍すぎる…

おそらく、これが主人公の仁菜子を好きになれなかった理由でしょう。魅力的な人物ではあると思いますが、麻由香派なんですね私は。でも麻由香に蓮は大変もったいないと思うのですよ。もっといいパートナーを見つけた話が読みたかったvsパートナーがいなくても自分で幸せになる話が読みたかった、というあらそいが生まれている。

総括

「じゃあ逆に好きな少女漫画の主人公ってどんなんだよ」と言われそうなので私が読んできたなかでインパクトに残っている好きなキャラを2名。

これまでにあまり少女漫画を読んでこなかった人生であるのを後悔しています…ですが、少女漫画はとても面白い!と今回の記事を書いて思いました。また気がむいたら気になる漫画のことを書くかもしれません。長々と読みづらい文章ですまんな…ありがとうございます!

参考文献

ストロボ・エッジ(1〜10)」著:咲坂伊緒

「アウトラインから書く小説再入門」著:K.M.ワイランド

再発しかけている話

最近、仕事のストレスがもの凄い。

当然ながら薬は毎日飲んで、普通の生活を送っている…筈なのだが。

 

私によくある「盗聴器と化したスマホから撮られた音声がネットに垂れ流されている」という内容の被害妄想がチラつき始めている。

 

もう慣れているので、妄想だという自覚はある。そこだけは救いなのだが、折角症状が安定していたのに悲しい気持ちである。

 

私の症状は古い類型だと、破瓜型だそうだ。これを初めて主治医から聞いた時には、死にたくなるほどの絶望があった。

それでも私は生きているし、これからもサバイブするしかないのだろう。

 

無理はしないでおこう。

統合失調症になった話①

はじめに

私が統合失調症であると明確に診断されたのは大学生の時分である。

統合失調症は諸説あるが、簡単に言えば脳がオーバーヒートによりバグってしまう現象だ。生来からの過敏な神経により、それを酷使し過ぎたゆえの故障。思えばその頃には昼夜逆転の生活を送っていたのだった。

個人差はあるが、私の症状は主に被害妄想と幻聴だ。一度街へくりだせば、「キモい」「あいつTwitterであんなこと書いてた」「あんな画像保存してるんだぜ」と言われた(と思い込んでいる)ものである。

これは自分と他者の線引きがはっきりしていれば起きにくいことであり、真面目に考えれば赤の他人が自分の情報の隅々まで知っているというのは、馬鹿馬鹿しいヨタ話だろう。しかし負のループに囚われた私には、その幻聴が真であり、家族が言う真っ当なアドバイスが偽としか思えなかった。これは陰謀論にハマるときとよく似ていると思う。

もし君の周りに、同じような体験を話す友達がいたら? ──恐れずに病院を勧めてほしい。この状態で認識の誤認を解くのは、医者でも難しいのだから。ここまでくると脳が完全に負のループに入っているため、薬で治すほか方法がない。そして、くれぐれもスピリチュアル系や食事療法など商売の餌食にならないように。彼らが我々と社会衛生への責任を持ってくれることはまるでない。

今となっては笑い話だが、当時は毎日が恐ろしいホラーの連続であり、脳内で作り出したストーカーをひたすらに怯えていたのだ。

豆腐は大豆に戻らない

私たちが統合失調症に関して持つ偏見……具体的には、何か訳の分からないことを喚いたり、犯罪を犯していたりするという負のイメージ。

私自身、統合失調症患者が犯罪を犯しやすい、犯罪率が高いと言われたら、ノーと言う。

そもそも精神疾患の罹患者で犯罪を犯したというサンプルが健常者に比べて圧倒的に少ない。健常者のサンプルのなかに、反社会性パーソナリティ障がいやNPDなどの症例を示す者はいたのかもしれない。しかし、昔に警察の犯罪データを確認したら、実際は健常者の方がずっと高かった。大昔の話なのでうろ覚えだが。

 犯罪を犯した者の属性だけを切り取り、その属性をもつグループごと排除をしようとする考えは危険である。ナチス支配下のT4作戦を彷彿とさせる。

それでもマスメディアやSNSは、我々をセンセーショナルに喧伝しようとする。

統合失調症は確かに未知の部分も多い。しかし、近年では全体的な軽症化が進んでいる。私ですらも、クローズ就労ができている位である。医学的な指導のもとに、用法容量を守り投薬治療を続けていれば、統合失調症は糖尿病と同じくして完全にコントロールができるのだ。

問題は、その完全な症状のコントロールに至るまでが困難であることだ。